【高校野球】高校通算本塁打ランキング歴代TOP10

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中村剛也(9位 大阪桐蔭)

第9位は中村剛也選手(大阪桐蔭)89本塁打です。

身長175cmとスラッガーとしてはそこまで高い身長ではないですが、どっしりとした体型から本塁打を量産し、高校2年生の春から4番として活躍しました。高校3年生の夏の大阪府大会では6本塁打を放つ大暴れでしたが甲子園出場は果たしていません。

2001年にドラフト2位で埼玉西武ライオンズに指名され、現在も西武ライオンズでプレーを続けています。「おかわり君」の愛称で親しまれる人気選手です。プロ入り後は6度の本塁打王を獲得しています。

鈴木健(9位 浦和学院)

第9位は鈴木健選手(浦和学院)の89本塁打です。(※中村剛也選手とタイ記録)

1986年の夏の甲子園、超高校級と呼ばれた強力浦和学院打線の中で2年生ながら4番に座り、チームを初出場ながらベスト4に導きました。3年時も本塁打を量産し、89本塁打という記録は1987年、鈴木健選手が高校3年生当時の日本最多記録でした。

1987年にドラフト1位で埼玉西武ライオンズに指名され、20年間も現役選手として活躍しました。プロでは本塁打王の獲得こそないものの、2桁本塁打10回、通算1446安打の記録を残しています。

横川駿(8位 神港学園)

第8位は横川駿選手(神港学園)の85本塁打です。

身長168cmと小柄な体格の内野手。小柄ながらパワーのあるバッティングを見出され、1年生の秋から2番セカンドとして出場しています。秋の大会では打率.375、1本塁打、10打点を記録しチームの近畿大会ベスト4に大きく貢献。下級生時代は主に1.2番を打ちながら2年生の時点で高校通算40本塁打を超えていました。3年生になると3番サードとして出場するようになり、高校通算で84本塁打を残しています。

高校卒業後は立命館大学→王子製紙と野球の強豪チームでプレーを続け、現在も現役選手として活躍しています。

大島裕行(7位 埼玉栄)

第7位は大島裕行選手(埼玉栄)の86本塁打です。

高校では下級生の頃から試合に出場し、埼玉の怪物と呼ばれていました。2年生時には甲子園に出場し、1回戦では沖縄水産高の新垣渚(元ソフトバンク→ヤクルト)から本塁打を放っています。3年生時は、鳥谷敬(元阪神→ロッテ)率いる聖望学園に敗れ甲子園出場とはなりませんでした。

1999年にドラフト3位で埼玉西武ライオンズに指名され、2012年まで13年間も現役選手として活躍しました。プロでは2桁本塁打を打つことはできませんでしたが、1軍通算で406試合に出場しています。

中田翔(6位 大阪桐蔭)

第6位は中田翔選手(大阪桐蔭)の87本塁打です。

中学時代には全日本のエース兼4番として活躍した中田翔選手。大阪桐蔭高校では、150キロ左腕・辻内崇伸(元巨人)や超高校級スラッガー・平田良介(元中日)など化け物揃いの中で1年生からレギュラーの座を掴みました。1年の夏には5番ファーストとして甲子園に出場し、投手としても最速147kmを記録しました。2年生春には151kmまで球速を伸ばしましたが、肩の故障によりその後は野手として活躍。打者として、大阪大会で4試合連続本塁打を放つなど高校通算87本塁打の圧倒的成績を残しました。投手としても野手としても高校野球史に名を刻む選手となりました。

2007年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに指名され、チームの4番打者として打点王に輝くなど活躍しました。人気、実力を兼ね備えた球界屈指のスラッガーとして現在もプレーしています。讀賣巨人ジャイアンツを経て、2024年からは中日ドラゴンズに移籍しています。

伊藤諒介(5位 神港学園)

第5位は伊藤諒介選手(神港学園)の94本塁打です。

神港学園では1年春から背番号13でベンチ入りし本塁打を量産しました。174cmとそこまで大柄ではないですが、高校野球界屈指のスラッガーとして注目され、高校3年生時には選抜甲子園に出場し本塁打を放っています。選抜甲子園で放った本塁打は高校通算67号目。その後、選抜甲子園以降の4ヶ月間で27本もの本塁打を量産し、高校通算94本塁打を記録しました。

高校卒業後は法政大学→大阪ガスと野球の強豪チームでプレーを続け、2019年に現役を引退しています。

黒瀬健太(4位 初芝橋本)

第4位は黒瀬健太選手(初芝橋本)の97本塁打です。

高校1年生からベンチ入りを果たし、秋の大会からは正捕手の座を掴みました。身長180cm・体重90kg超えの体格から本塁打を量産し、捕手としては二塁送球1.8秒の強肩を活かしたパワフルな選手でした。練習試合では1試合で5打数5本塁打を記録したこともあるようです。1年生時に16本、2年生時には56本の本塁打を放ち、最終的には高校通算97本塁打を残しました。

2015年にドラフト5位で福岡ソフトバンクホークスに指名され、2022年まで現役としてプレーしました。NPBウエスタン選抜に選出されるなど期待を背負っていましたが、1軍では通算7試合の出場で本塁打は0本でした。

山本大貴(3位 神港学園)

第3位は山本大貴選手(神港学園)の107本塁打です。

1年生から背番号12番を背負い、2桁番号ながらもセンターのレギュラーとして試合に出場していました。1年夏から主軸として本塁打を量産し、高校2年生の時点で高校通算本塁打は神港学園の先輩である伊藤諒介選手の94本を越えていました。最終的に3年間で107本塁打と高校生で初の通算100本塁打超えを記録しました。

高校卒業後は、JR西日本でプレーしました。社会人では球の対応に苦しみ、2016年に現役を引退しています。

清宮幸太郎(2位 早稲田実業)

第2位は清宮幸太郎選手(早稲田実業)の111本塁打です。

リトル時代からスーパー小学生として注目されていた清宮幸太郎選手は、高校は早稲田実業へ進学。1年生から主軸として活躍しました。1年生夏には背番号3番を背負い甲子園に出場。1年生ながら甲子園で2本塁打を放ち、「清宮フィーバー」が起きるほどの人気を誇っていました。その後もプロやメディアに注目される中で順調に本塁打を量産し、高校通算111本塁打の記録を残しました。1年生夏以降は甲子園出場を果たすことができませんでしたが、清宮世代として世代を牽引しました。

2017年に北海道日本ハムファイターズにドラフト1位で指名され、現在もプレーを続けています。高卒1年目から1軍で7本塁打を放つなど非凡な能力を見せつけますが、2年目以降は成績が停滞気味でした。しかし、2022年、2023年と2年連続で2桁本塁打をマークしており、今後の更なる活躍が期待されています。

佐々木麟太郎(1位 花巻東)

第1位は佐々木麟太郎選手(花巻東)の140本塁打です。

父親である佐々木洋さんが監督を務める花巻東高校でプレーした佐々木麟太郎選手。1年生から試合に出場し、高校通算140本塁打という高校歴代1位の記録を打ち立てました。甲子園でホームランは放っていないですが、高校3年生の夏は1回戦、3回戦で猛打賞を記録しています。

高校卒業後は、アメリカのスタンフォード大学へ進学予定です。スタンフォード大学の野球部はこれまでに多くのメジャーリーガーを輩出している名門で、佐々木麟太郎選手の今後の去就にも注目です。

まとめ

高校通算本塁打の定義は曖昧です。公式戦だけでなく、基本的には練習試合の数も含みます。高校によっては紅白戦の本塁打もカウントするなど地域や環境によって数え方が異なるため、あくまでも参考の記録です。参考の記録ですが、通算で何十本、何百本もの本塁打を放っている選手はプロからも注目され、プロ入りあるいは社会人野球の名門などで活躍していることがわかります。

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