【プロ野球】高校時代控え選手/二桁背番号だった現役NPB選手

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はじめに

NPBといえば、野球界のエリート中のエリート達が集う場所です。高校時代はエースで4番という選手が山ほどいます。今回の記事では、高校時代に控え、あるいは二桁背番号という立場でありながらNPBの世界まで上り詰めた雑草魂、あるいは訳ありで控えだった選手を紹介します。

吉田一将

https://www.nikkansports.com/m/baseball/photonews/photonews_nsInc_202008190000574-0.htmlより引用

高校時代は青森山田高校でプレーし、2年夏・3年夏にチームとして甲子園に出場した。高校時代に急激に身長が伸び、その成長に身体がついていかず思うようにプレーすることができなかった。その為、3年間公式戦でほとんど登板機会はなかった。

3年生夏 背番号13

松原聖弥

https://hochi.news/articles/20210420-OHT1T51071.html?mode=photo&photoid=1より引用

高校時代は仙台育英高校でプレーし、3年生の夏にチームとして甲子園に出場。2勝を挙げるが、松原はベンチ入りメンバーから漏れ、アルプススタンドから仲間を応援していた。2年生の秋には二桁背番号で試合に出ていたものの、イップスを発症。以降戦力としてプレーすることができなかった。

3年生夏 メンバー外

平野佳寿

https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=002-20170213-01より引用

高校時代は京都府立鳥羽高校でプレーした。2年生の春から3季連続でチームとして甲子園に出場。平野選手は1年生の秋からベンチ入りしており、甲子園での登板も果たしている。しかし最後まで1番をつけることはなく、公式戦で先発したのも3年生の春の1度だけである。主にリリーフとして活躍していた。

3年生夏 背番号10

横川凱

https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20201214-90より引用

高校時代は大阪桐蔭高校でプレー。2年生春から四季連続で甲子園に出場し、3年時にはチームとして春夏連覇も果たしている。投手としての位置付けは、同学年の根尾昂(中日)、柿木蓮(日ハム)に次ぐ3番手だった。中学時代から右の根尾、左の横川と言われていたほどの実力者。

3年生夏 背番号10

吉田凌

https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=016-20171023-06より引用

高校時代は東海大相模高校でプレー。2年夏・3年夏に甲子園に出場し、3年夏にはチームとして甲子園で優勝を果たした。同学年には小笠原慎之介(中日)がおり、Wエースとして活躍した。吉田選手は、2年生の夏に県大会で20奪三振を記録するなど活躍したが、2年秋以降は怪我なども重なり、小笠原選手がずっとエースナンバーをつけていた。

3年生夏 背番号11

渡邉勇太朗

https://full-count.jp/2021/06/10/post1095758/より引用

高校時代は浦和学院でプレーし、3年生の夏にチームとして甲子園に出場。渡邊選手は、入学直後から試合に出ていたが、1年生の冬に寮を抜け出して一度は退部を考えたこともある。しかし、仲間や家族に支えられ再び野球部に復帰。復帰以降も試合には出ていたが、3年生の春に怪我をしチームから離脱した為、最後の夏はエースナンバーをつけることができなかった。

3年生夏 背番号11

大野雄大

https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20201013-02より引用

高校時代は京都外大西高校でプレーし、2年生の夏、3年生の春にチームとして甲子園に出場。2年生の夏には甲子園準優勝も果たしており、その時からベンチメンバーに名を連ねていた。しかし、最終学年になっても同級生の北岡選手の方がコントロールが良くフィールディングも安定していた為、大野選手はエースナンバーをつけることはなかった。

3年生夏 背番号10

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